こんにちは!
SNSから こんな所までお越しいただきありがとうございます。
改めまして、ペンスール(ツイッターIDは@Penseur99)と申します。
少し前まで、漫画家・イラストレーターとして活動して“いました”が、
今はほぼ廃業して、“とあること”で生計を立てています。
私がなぜ漫画家なんて職を目指し、
どのように漫画家なったのか。
そして、なぜ漫画家を辞め、
今は何をしているのか…。
こちらでは、それらをお話しさせていただけたらと思います。
私のちょっと風変わりな半生について…
よろしければ最後までお付き合いください。
漫画家を目指すと決めた高2の…確か後半あたり。
さすがに小学校・中学校はすっ飛ばしていいでしょう!
私の人生で一番の分岐点となったのは、高校2年の時。
早速この辺からお話ししていきます。
勉強からの逃避
一応、進学校に通っていたのですが、
徐々に勉強への意識が低下し始めた時期でもあります。
しかし高2ともなると、そろそろ将来を考えなければいけない時期。
そんなある日、私は決意します。
『漫画家になろう』
“つまらない勉強をやるくらいなら、
少しでも興味がある絵をやった方が人生楽しいだろ?
俺にはちゃんとやりたい事があるんだよ( ̄ー+ ̄)”
なんて自分の中で大義名分を掲げていました。
明らかにただの現実逃避だったわけですが。
小さい頃から絵を描くことは好きでしたし、
他の同級生と比べたら絵はかなり上手い方ではありました。
小学校・中学校と自分より絵の上手い人間は周りにはいませんでした…
…たぶん。
だからこその“この慢心” です。
『漫画家なんかチョロいっしょ!』
軽いノリで友達数人にも話しました。
私:「卒業したら漫画家になるわ」
進学校ということもあり、周りの反応は冷ややかです。
友人A:「いや、漫画家なんかなれるわけないだろ?(笑)」
友人B:「ちょっと絵が上手いくらいで…(笑)」
等々、鼻で笑われる始末。
こう馬鹿にされると逆にやる気が出たりしますよね?
たぶん、この瞬間に私は“本気で漫画家を目指す”と決めた気がします。
『舐めやがって…絶対に漫画家になってやる…!!』
当時の私の漫画・イラストレベル(高2)
帰宅後、私はさっそく漫画を描き始めます。
翌日にはそれを学校に持っていき、
『見ろよ?これでも漫画家は無理だって言えるか?』
ってドヤってやる…!!
そう意気込んでいたのですが…
…
…
…
…
…
全く筆が進みませんでした。
正確に言えば、
何度描き直しても全く自分の思い描いた絵が描けないのです。
『漫画…むっず……』
それまで“絵”はたくさん描いてきましたが、“漫画”を描いたのはこの時が初めてでした。
漫画では…
正面から見た顔だけ描ければいいわけではありません。
こんな風に、斜め下から見上げてみたり。
こんな風に斜め上から見下ろした構図で、“動き”を加えなければいけないこともあります。
今でこそ、このように描けるようになりましたが、当時は全く漫画が描けませんでした。
(今、お手元に紙とペンがあったらこの2つの絵、真似して描いてみてください。
上手に描けたら、あなたは少なくとも当時の私よりは絵の才能があります!!)
友達に『舐めやがって…』と息巻いていた私の方が完全に漫画家を舐めていたわけです。
それからは毎日、漫画の練習です。
苦手な見下ろす絵、見上げる絵。
もちろん動いているキャラ、
会話をしているキャラ、
一コマに複数のキャラ…。
とにかく描けないカットをひたすら練習しました。
手を描くのも難しいんですよ…。
まぁ人間を描こうと思ったら、どこも難しいんですけど。
さらには“背景”も描かなければならず、明らかに現時点での自分のキャパを超えていました。
当初は、
『高校卒業したら適当に2年くらい専門学校いきゃ漫画家になれるだろ(゚∀゚)』
なんて考えていましたが、とても2年でそこまでのレベルになれるとは思えませんでした。
諦めても良かったんですけどね。
周りにも言ってしまった手前、引き下がるのも格好がつかないな…と。
ここで諦めていれば この後お話しするの苦労も経験せずに済んだものを、
と今なら思います(笑)
漫画・イラストの投稿を始める大学時代
さて、高3含め あと3年で漫画家にはなれないと悟った私は早々に作戦を変更します。
適当に入れる大学に入り、そこで4年間の猶予をもって独学で漫画家を目指そう、と。
“親のすねかじり作戦”にシフトチェンジしました!
(専門学校行くにしても親のすねをかじることには変わりありませんが)
当時の私の漫画・イラストレベル(大学1年)
しかし高3の1年間、それなりに頑張って絵の練習をしてきたので、
少しは人に見せられる絵を描けるようにはなっていました。
ここから徐々に漫画家になるための活動をはじめます。
現在と比べると まだまだ発展途上ではありましたが、
ネットに漫画・イラストを投稿するというのがメジャーになり始めた時期でした。
↓↓↓イラスト投稿系のSNSと言えば、pixivが最も有名ですね↓↓↓
ネットでの投稿がきっかけでデビューする漫画家が徐々に出てきた頃です。
当然 私もこの流れに乗ろうと、ネットに自分の絵を投稿しはじめます。
『こりゃネットの力を使えば漫画家デビューも余裕だな(゚∀゚)』
毎度のことながら、この時も私は舐めていました。
まずは漫画ではなく1枚のイラストを投稿。
絵の練習の成果もあり、それなりの絵は描けるようになっていたので、
『イラストだけでもいけるだろ』という思いがありました。
しかし全く反応はありません。
閲覧数も2桁ほど。
『まぁ1枚目だからな…』
そんな風に楽観視していましたが、
2枚、3枚と投稿を続けてもネットの反応は全く変わりませんでした。
『…おかしいな…』
しかし20枚ほどの投稿を終え、さすがに私は気付きます。
『俺の絵には魅力がないんだ…』
他の投稿者は10枚くらいで
多くの反応をもらえるようになっている人もいました。
やはり そういう人の絵は私から見ても魅力があります。
では私の絵はどうでしょう?
そのとき初めて客観的に自分の絵を見た気がします。
…
…
…
…
…
『…確かに良い絵じゃないな、これは…』
その時は はっきりと“何が”と言葉にすることはできませんでしたが、
確かに私の絵と彼らの絵には違いがありました。
絵の勉強
そこからは絵の勉強の日々です。
絵の“練習”はしてきましたが、『勉強しなければ!』と思ったのはこの時から。
まず課題だと感じたのは“絵柄”でした。
私の絵は少しリアルタッチの絵だったので、
それを徐々に矯正し始めます。
『どんな絵柄のウケがいいんだろう…』
人気のある絵描きの作品を見ながら研究です。
そのとき流行っていたアニメも片っ端から見ました。
すると少しずつ分かってくるのです。
人気のある“絵柄の法則”というか“バランス”というか。
それを自分の絵柄に落とし込み始めました。
すると少しずつネットで反応が出はじめます。
“いいね”が増えたり、コメントがもらえたり。
私はこのとき初めて知ったんです。
『ただ自分の好きなように絵を描いていても誰も自分の絵は見てもらえないんだな』
今考えれば「そりゃそうだろ!」と思うのですが、
バカ正直に取り組んでいるとなかなか客観視ってできないんですよね。
さて、この事実を目の当たりにして以降、
私は少しずつ自分の“個性”を捨てていくことになるのです。
このときは まず“自分の絵柄”を捨てました。
当時の私の漫画・イラストレベル(大学3年)
徐々に反応がもらえるようになったことが嬉しくて、それからしばらくは漫画ではなくイラストばかり描くようになっていました。
人気のある絵柄は一通り模写したので、どんな絵柄でも真似して描けます。
コメントで「○○のキャラ描いてください!」とか、そういうのに応えるとやはり反応が良いんですよね。
それに気を好くしてイラストばかり描いていたらいつの間にか大学3年に(笑)
ネットでそれなりの人に見てもらえるようになったとはいえ、当然それは収入には繋がっていません。
『やっべぇ、もう猶予の半分を使っちまった…(꒪ཫ꒪; )』
デジャブですね。
ここでようやく漫画の投稿をはじめます。
描きたかった漫画、それは…
さて、ここまで“漫画漫画”と書いてはきましたが、具体的にどんな漫画を描くのかはお話ししていませんでしたよね。
私が目指していたのはギャグ漫画家です。
これも明らかな選択ミスなのですが、当時の私にはそんなことは分かりません。
元からお笑いが好きでしたし、漫画を描くなら人を笑わせてハッピーな気持になってもらえるものを作りたいと思っていました。
『みんなが笑ってくれるギャグ漫画を描くんだ!』そう思っていました。
しかし結論から言ってしまうと“ギャグ漫画”は最も選んではいけない題材だったのです。
なぜなら…
『人は笑いにはお金は払わないから』
世の中には多くの漫画がありますが、みなさんはギャグ漫画と言われて何を思い浮かべますか?
たぶん、ほとんどの人は思いつきすらしないのではないでしょうか。
しかし感動する漫画といわれたら、日本人なら誰しも1作品は思い浮かぶはずです。
今であれば鬼滅の刃、ワンピース。
時代関係なく選べばスラムダンクや、個人的ベスト漫画ヒカルの碁など。(わかりやすくジャンプ系で固めました)
もちろん他にも、感動する漫画は山ほどあります。
世の中が漫画に求めるもの
なぜ世の中は これほどまでに感動する漫画に溢れているのでしょうか。
答えは簡単です。
『感動はお金になるから』
人は感動するために映画を観、感動するために漫画を読み、感動するために小説を読みます。
それらにお金を払って、自ら“感動させてもらいに”いくんです。
「さぁ、どんな風に私を感動させてくれるの?」
多くの人はこんな思いのもと、作品に触れます。
面白いですよね。
そして重要なのは、
ここでいう感動というのは“泣ける”ことを意味しているということ。
なぜ泣けるものでなければいけないのか?
それは“泣く”以外の感動にはリテラシーが必要だから。
つまり、後天的に学ばなければ理解できない感動が存在しているということです。
まさに“笑い”はこれにあたります。
私にとっては“笑い”は感動でした。
しかし世の中の多くの人にとっては そうではなかったのです。
この時ほど自分がマイノリティーなんだと痛感したことはありません。
“頑張ろう”と思える感動。
“幸せだ”と感じる感動。
“悲しい”と感じる感動。
涙を伴う感動に人はお金を払います。
しかし、それ以外の感動にはお金は発生しないことがほとんどです。
これは、私と“マーケティング”という概念とのはじめての出会いでもありました。
漫画はしっかりとしたマーケティングが必要な“ビジネス”なんです。
言われてみれば当然の話ではありますが、
読者が何を求めているのか理解し、それを供給しなければ需要は満たされません。
需要が満たされなければ、そこにお金は発生しませんよね。
簡単にイラストにしてみましょう。
私はこんな作品を作ろうとしていました。
当然これでは、いくら漫画を描いても収入を得ることはできません。
少なくとも、この形に持っていかなければいけませんよね。
もちろん理想はこの形ですが、こんなことができるのはごく一部の天才だけです。
つまり漫画家として食べていくには、
“多くの人が良いと思う絵柄で、涙を伴う感動を与える漫画を描かなければいけない”
ということです。
ここまで来ると“自分の絵柄でギャグ漫画を描く”という私が当初考えていた漫画家像は欠片も残っていません。
もうこうなると…
「漫画家を目指す意味ないんじゃないの?」
と思われる方もいるかもしれませんが、1つの答えが出ているとそれを達成してみたいと考えるようになります。
少なくとも私はそうでした。
私はこの時、自分の描きたい内容も捨てる決意をします。
“感動”の勉強
ちなみに、華やかなキャンパスライフの話が一度も出てきていませんが、私は4年間のほぼ全てを漫画とイラストに捧げました。
そんな私とも仲良くしてくれた友人が数人いたことに、この場を借りて感謝いたします。
さて話を戻しましょう。
また、勉強の日々です。
勉強が嫌で絵を描き始めたのに、気付いたら勉強ばかりしていますね。(笑)
次の課題は“感動”です。
『どうやって感動を勉強しよう…』
しかし、このときの私はもう 漫画=ビジネス であると理解していました。
世の中が『感動した!』という作品を片っ端から見て、人が感動する構造を研究しはじめます。
人生で初めて、ビジネス書の類にも目を通しました。
たまたま大学の授業で心理学も取っていたので、
捨てかけていた教科書を救出し読み直したりもしましたね(笑)
この頃から少しずつ、『人間』についての勉強をしはじめます。
併せて、最低限必要なライティングのテクニックも この時に身に付けました。
“どうすれば人の目に留まるか”
“どうすれば読みたいと思ってもらえるか”
これらは間違いなく漫画に必要なスキルです。
当時は今ほどネットに無料の情報が溢れてはいませんでした。
大学の図書館にも、それほど多くはライティングについて書かれたものは置いていなかったと思います。
使えるものを総動員し、数少ない情報をかき集める日々…。
しかし、この大量の知識のインプットにより、
どうすれば読んでもらえるのか?
どうすれば感動してもらえるのか?
徐々理詰めで作れるようになっていきました。
ここで1つ、私が取り入れた手法をご紹介します。
今では、多くの人が使っている手法だとは思いますが、
簡単に実践できかつ漫画に限らずさまざまな媒体で使えると思いますので、
よろしければ ご参考までに…。
例えばこのように、表紙となる1ページ目と漫画本編7ページの作品を作ったとします。
それまで私は このような形で漫画の投稿を行っていました。
サムネイルは1枚しか設定できませんから その表紙(扉絵)を設定します。
しかし私は 特別絵が上手いわけではないので、表紙の“絵の力”だけで読者を引っ張ってくることはできなかったのです。
そうではなく…
漫画本編の構成自体は変えずに表紙は最初から描きません。
そして…
このオチの直前であったり、読者が「おっ?」と思うであろうカットをサムネイルに設定します。
正直、よほど絵に魅力がない限り アマチュアの漫画なんて表紙はなんでも良いんですよね。
なんでもよいなら あってもなくてもいい。
であれば、ない方が効率的です。
表紙を描く時間があるなら、この最も“人を引き込む力”があるであろうカットに その分の力を入れ、
クオリティを上げた方が圧倒的にレスポンスを得られるということが分かってきたのです。
加えて、セリフには“感動”を盛り込みました。
人の心を動かせれば、必ず反応をもらえます。
結果はというと…
…
…
…
…
…
ほどなくして、徐々に私の漫画は読まれるようになります。
そして その流れに乗り、初めて漫画制作の依頼をもらうことが出来たのです!
数ページのWEB漫画のお仕事でした。
(確か今はもう無くなってしまった会社からのオファーです。)
めちゃくちゃ嬉しかったですね。
ただ、原稿料も めちゃくちゃ安かった記憶があります(笑)
1ページ4000円とか5000円とかそのくらいだったんじゃないでしょうか。
しかし私は晴れてプロの漫画家になることができました。
それは大学卒業ギリギリの出来事です。
大学卒業からフリーター兼漫画家へ
絵でお金が得られるようになったとはいえ たかが知れていますし、何より収入が安定しません。
私はコンビニバイトをしながら絵描きを続ける道を選びました。
フリーター漫画家の誕生です。
漫画の持ち込みは…?
ここまで読まれて『
漫画家目指すならまずは持ち込みだろ!』
と思われている方もいますよね。
大学4年次に何社か持ち込みはしたものの、
あまり結果に結びつきませんでした。
1社、担当さんが付いてくれて一緒にネーム(下書きの前の絵コンテのようなもの)を作ってもらったりもしたのですが、持ち込みの新人漫画家ってそこからが長いんですよ。
まずは漫画賞を取るために、いくつもネームを出し、
何度も直しを入れます。
そして その中から1本を仕上げていくのですが、
受賞できなければタダ働きです。
40ページ以上描いて無給というのもザラにあります。
しかも、受賞して初めて“デビューの可能性”があるという程度。
『今の時代にあまりにも効率悪すぎだろ!!』
と思い辞めました。
いや、普通は皆この道を選ぶんですけどね(笑)
徐々にネットで結果が出てきた頃だったということもあり、自分にはネットでの活動の方が性に合っていたんだと思います。
プロになってから
正直、プロになってからはあまり語ることはないんですよね…。
活動を続けていくことで新しい仕事がもらえることもあれば、なくなる仕事もある。
バイトとの兼業も1年で終わり、
その後は専業漫画家として活動を続けます。
しかし、ここで直面するのは漫画家の儲からなさです。
最大瞬間風速では月収80万円まで行けたものの、当然それが毎月というわけではありません。
達成感はあったのでそんな生活を数年続けましたが、
コンビニバイトを週5でやった方が稼げる、
なんて月もありました。
今お読みいただいている方は、
前半の文章と比べて明らかに私の熱量が減っていることにお気づきでしょう。
やはり夢や目標は叶えるまでの過程が楽しいものなんですよね。
この時期になると私は漫画家の収入面の“天井”を理解するようになります。
当然のことではありますが、
漫画だけで生計を立てていて儲けられる人は一握りしかいない、
というのが現実です。
性懲りもなくギャグ漫画、そして突然のオファー
さて、だいぶモチベーションが低下してきていた私ではありましたが、
人はまた欲が出てくるもの…。
ずっと自分の描いたものが描けない活動を続けていたので、
『ギャグ漫画で自分のファンを笑わせたい』
という気持ちが また強まってきていました。
『pixivのフォロワーもだいぶ増えてきた今であれば…。』
そんな思いのもと、
仕事では求められた漫画を描き続けながら、
自分の作品も描き溜めはじめます。
仕事と並行しての作業は なかなかに大変です。
しかし、ずっとギャグなんて考えていなかったので、
ネタ出しが楽しくて楽しくて…!
気付けば、思っていたよりもだいぶ早く作品を描き上げることが出来ていました。
我ながら会心の出来です。
そして投稿。
…
…
…
…
…
結果はお察しの通り…。
ネットでの反応はなく、閲覧数は伸びるも評価・コメントはほぼ貰えないというものでした。
私の作品のファンはたくさん作ることができました。
しかし“私のファン”になってくれた人はほとんどいなかったのです。
『あぁ…そういうことかぁ…』
これには結構落ち込みました。
けどそれは勝手に期待してしまっていただけのことなんですよね。
このときもまた、私は物事を俯瞰で見られていませんでした。
この頃から『自分が漫画を描く意味はあるのだろうか…?』と思うようになります。
予期せぬオファーとその応え
そんなとき、
タイミングってあるもんだな、
と思う出来事が起こります。
私の作品を見てくれたとある編集部の方が連絡をくれたのです。
とあると言いつつ名前が出てしまっていますが、あの角川書店の編集部です。
なんとその内容は、
ライトノベル作品のコミカライズ(漫画化)やってくれないか、
というものでした…。
メディアミックス作品としてのオファーだったのでコミカライズだけでなくアニメ化も決まっています。
ライトノベル作品なので、ギャグ要素(もちろん原作があるので、描くとしても私が考えたギャグではありませんが)もあります。
細々と陽の目を浴びない漫画を描いてきた私からしたら信じられないようなお誘いでした。
『マジかよ…』
この時ばかりは、本当に口からこの言葉が出ましたね(笑)
ようやく自分のやってきたことが認められ、実を結んだ気がしました。
しかし、この時の私は身体が限界を迎えていました。
漫画家はどんなに頑張っても、時間労働からは抜け出せません。
座って長時間描き続ける生活を続けたため、
腰も肩も悲鳴を上げ、右手は慢性的な腱鞘炎にもなっていました。
今まで騙し騙しやってきていましたが、
モチベーションが低下し、
身体の不調が顕著になりはじめます。
その状態で ある程度ページ数のある月間連載…どう考えても引き受けられない案件でした。
でも同時にいい機会だとも思ったんです。
『…ここが引き際だな』
私は このなんともありがたいオファーをお断りし、絵描きを辞める決意を固めました。
才能ないなりに良くここまで頑張って来られたなー、とか。
最後まで舐め腐った私でしたが、良い漫画家人生でしたね。
(引退理由は他にもあるのですが、それはまた別の機会にお話ししましょう。)
廃業の決断、そして新たな挑戦
さて、絵描きを辞めると決めたはものの、すぐに辞められるわけはありません。
失業保険などもありませんからね。
辞めた途端に『収入ゼロ』
誇張なしにこの状態になります。
とにかく、即稼げる副業を探し始めました。
即金性という意味では、やはり“転売”なんですよね。
仕入れ⇒売却で差額が即利益として収入になります。
「よし!転売をはじめよう!!」
絵描きと転売のダブルワーク
転売と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?
おそらく、ほとんどの人が“メルカリとヤフオク”を思い浮かべるのではないでしょうか。
私もご多分に漏れず、この2つを思い浮かべました。
メルカリ・ヤフオクで転売に挑戦!
早速メルカリとヤフオクのアカウントを作ります。
次は「何を売るか」です。
その頃には、“転売”と調べると無料で様々な情報が手に入るようになっていました。
“国内転売” “輸入転売” “店舗せどり” “ブックオフせどり” ………
最初は手軽にできる“店舗せどり”をやろうと思ったのですが、絵を描いていて外に出かけられる時間は ほとんどありません…。
少し難易度は高そうでしたが、「ライバルも少ないだろう」と“輸入転売”で海外ブランド品を売ることに決めました。
絵描きの仕事を続けながら、何とか時間を作り情報収集と即実践です。
まず仕入れ先として選んだのは“Amazon.com”
アメリカのAmazonですね。
COACHやトミーヒルフィガーなど、アメリカブランドがかなり安く販売されています。
早速仕入れて、メルカリ・ヤフオクに出品!
しかし、なかなか売れません。
起きている時間はずっと描き続けなければいけない日もありました。
労働時間で言うと15時間はあったのではないでしょうか。
なんとか捻出した、なけなしの時間で仕入れと出品を繰り返していたのですが、その間も1つも商品は売れませんでした。
ようやく売れた!!しかしその利益は…
商品を仕入れて3週間後、ようやく1つ売れました。
しかしその利益は…
…900円ほど(꒪ཫ꒪; )
実際売った商品と全く同じというわけではないのですが、似た商品が現在もAmazon.comにあったので参考までに。
これくらいの価格で仕入れ…
これくらいの価格で売れました。
実際の商品はもう少し安く仕入れられたのですが、売値はこんなもんでしたね。
あなた:「いやいや、なんでそんな安値で売ってんだよ?」
と思われるかもしれませんが、全く売れる気配がなかったのです。
“ウォッチリスト(いいね)”も全く増えず、仕方なく値下げ値下げを繰り返し、ようやく赤字ギリギリで売れました。
「…これじゃ絵描き辞めらんねぇじゃん。
一体何個売れば良いんだよ…」
正直、絶望でした。
仮に1商品の利益が1,000円だったとしても、10万円稼ぐには100個も売らなければいけません。
「メルカリ・ヤフオクで稼げるってのは嘘なのかよ…。
まぁ ネットの情報なんてそんなもんか。」
そう諦めかけたのですが、ここで私はひらめきました。
『漫画と同じように、物販で稼ぐためにも しっかりとした分析が必要なんじゃないか?』と。
すると徐々に分かってきたんです。
海外ブランド転売で稼ぐ方法が。
メルカリ・ヤフオクで起こっていたこと
端的に言ってしまえば、メルカリ・ヤフオクは需要と供給のバランスが崩れていたため、商品が高値では売れない状況にありました。
ひと昔前のメルカリ・ヤフオク
ひと昔前のメルカリ・ヤフオクをイメージしやすいよう、
このようなイラストで表してみました。
出品されている商品数(供給)に対して、
購入希望者(需要)の方が圧倒的に多いですね
つまり需要に対して、圧倒的に供給が少ない状態と言えます。
この状態であれば、あなたは常にその商品の需要における“最高値”で売買を成立させることができるわけです。
とある商品の需要が、仮にこのようなバランスだった場合…
この人に商品を売れば良いからですね。
別にこれは『ヤフオク』でのお話をしているわけではなく、
物販における“成約(売買が成立すること)”は基本的にオークション形式で決まる、
ということです。
例えばこれがメルカリであったとしても、
『最も高い額で買っても良い』と思った人が
その商品を購入し手に入れられますよね。
一般のショップであっても、「セールまで待とう…」と思い定価で買わなかった人は、
その商品の在庫がなくなってしまえば手に入れることはできません。
現在のメルカリ・ヤフオク
では次は、現在のメルカリ・ヤフオクの状態をお話しします。
分かりやすく表現すると、このような需要と供給のバランスになっています。
こうなってしまうと商品の値段はどうなると思いますか?
こんな風に…
売値はどんどん下がっていきます…
商品を欲しいと思っている購入希望者がプラットフォームから どんどんいなくなるからです。
この状態だと最高値で売っても8,500円ですよね。
まだ下がり…
最終的に売値はここまで下がってしまいます。
一番最初に売れた金額は10,000円ですが一番最後は7,500円。
その差は2,500円にもなります。
飽和状態となっていたメルカリ・ヤフオク
つまりメルカリ・ヤフオクは飽和状態になっていたのです。
手軽に始められる副業として、多くの参入者でごった返し、価格の暴落が起きていました。
需要と供給のバランスは物販において、もっとも考えなければいけない要素なんだと、この時身をもって感じました。
ようやく見つけた稼げるプラットフォーム“BUYMA”
海外ブランド転売と言えばヤフオク・メルカリ
ヤフオクで25,000円で取引されている商品が、BUYMAでは…
約4万円で取引されていました。
※こちらは現在のBUYMA・ヤフオクで探してきた商品ですが、当時の方がさらに価格差がありました。
「は!?なんでこんなに高く売れんだ??」
他の商品も見てみましたが、圧倒的にBUYMAの方が高値で取引がされていました。
しかもこの商品なんて…
商品ページのアクセス数は1万を超え、
“ほしいもの登録”も200を超えています。
単価で1万円も利益の差があり、
200人も欲しい人がいるとなれば、
この1商品だけで何十万と利益が出ていると予想できますよね。
「なんなんだよBUYMAって…」
なぜBUYMAでは こんなにも高値がつくのか?
それはメルカリ・ヤフオクに“ないもの”がBUYMAにはあるからでした。
BUYMAにあってメルカリ・ヤフオクにないもの
それは商品に“安心”という付加価値をつけている、というものでした。
BUYMAでは本物保証制度(無料鑑定サービス)、
返品補償制度、初期不良補償制度、
紛失補償制度と購入者が安心して取り引きできる制度が多く盛り込まれています。
また出品者の評価もこのように…
“対応の丁寧さ”・“返信の早さ”・“梱包の丁寧さ”といった具合で詳細まで評価付けられます。
メルカリ・ヤフオクと比べると結構シビアですよね。
この“安心”価格に及ぼす影響
ではここでもう一度、今度はこの図を見てください。
バッグのアイコンで示されているのは同じ商品、価格も同じ10,000円です。
人は“安心”を選ぶ
ヤフオクとBUYMAで全く同じ商品が売られているとしたら、この赤丸の購入希望者はどちらでその商品を購入するでしょうか?
…
…
…
考えるまでもなくBUYMAです。
この購入希望者は、この商品に10,000円出しても良いと思っているんです。
それなら、同じ商品を安心して買えるBUYMAを選ばない理由がありません。
人は“安心”にお金を払う
さて今度は、少し自分のこととして考えてみてください。
あなたはこの赤丸の購入希望者です。
そして、とある商品を9,000円”なら”買おうと考えていました。
しかし、その商品はもしかしたら偽物かもしれません。
そんなとき、確実に本物であると保証された同じ商品が10,000円で売られていました。
あなたはどうしますか?
…
…
…
10,000円でも買ってしまうかもしれませんよね?
そう、人は”安心”にお金を払ってしまうのです。
もうお分かりいただけたでしょうか。
これがメルカリ・ヤフオクと比べると、BUYMAの方が圧倒的な高値が付いていた理由です。
皆、海外ブランド品はメルカリ・ヤフオクでは買わずBUYMAで買うようになっていたのです。
つまり…
メルカリやヤフオクは、ただこうなっていたわけではなかったのです。
高額購入者がゴッソリBUYMAに流れ、このようなバランスになってしまっていたのです。
これでは利益を得られるわけがありませんよね。
メルカリ・ヤフオクはもう海外ブランド品の転売では稼げないプラットフォームになっていました。
私はこの事実に気付き、本格的にBUYMAで活動をしようと決意します。
BUYMAでの活動の成果は…?
さて、その後どうなったかというお話をしましょう。
私がBUYMAで活動をはじめたのは2019年の6月です。
2019年の売上
この月は残念ながら10万にも届きませんでした。
利益で言えば2~3万円くらいだったと思います。
ヤフオクで出品していた頃に比べたら雲泥の差ではありますが、それでもまだこれだけで食べていける収入ではありませんよね…。
しかし、BUYMA内でのマーケティングをしっかりと学び、
“戦略的に出品”をすることで徐々に受注数が増えていきます。
8月からは徐々に絵描きとしての仕事を減らしていきます。
10月には遂に完全に絵描きの仕事をゼロとし、ブランド品転売専業で食べていけるようになったのです。
さらに12月にはBUYMAだけで、月の売上が100万円を超えます。
この頃にはメルカリを上手く併用するノウハウも開発していたので、2つ合わせた利益は70万円近くになっていました。
独学でBUYMAをはじめて約半年でこの実績は、
なかなか類を見ないものなんじゃないかと自負しています。
2020年~2021年の売上
活動を続けていく中でBUYMAというプラットフォームをより理解できるようになります。
『売れる商品を見極め、独占して販売する』
という独自の売り方も確立でき、
利益はさらに伸びていきました。
その結果、コロナ禍にもかかわらず…
BUYMAだけで200万円以上、メルカリも含めると350万円近く売り上げることができたのです。
純利益で言うと120万円以上。
しかも毎日の労働時間は2~3時間です。
漫画家時代の4分の1ほどの労働時間でここまで稼げるのは本当にありがたい話です。(笑)
そして現在…
新たな活動の場として、現在は情報発信に重きを置いています。
今まで培ってきた知識・スキル・ノウハウ、
情報発信ではこれら全てが武器になります。
そして人生の経験すべてをアウトプットすることで、唯一無二のコンテンツを作れる。
これに非常にやり甲斐を感じています。
(情報発信はその都度、1つの形として教材化していますので、よろしければ下記よりご覧ください)
長々と語りましたね。
お付き合いいただき本当にありがとうございます!!
最後に私からのお願いなのですが…
よろしければこちらの…
Twitterにも遊びに来ていただけると嬉しいです。
手前味噌ではありますが、日々有益なツイートをしていますので、
よろしければお越しください。
それでは、お時間いただきありがとうございました。
また各プラットフォームでお会いしましょう。
それでは👋
© Copyright 2021 Atelier Improve.